うまいコメの代名詞コシヒカリを学ぶ
ことしも新米の季節がやってきました!
実りの秋、食欲の秋、新米の秋…「新米」の文字にココロオドル♪方も多いと思います。
炊きたての新米を食べるときの幸福感はたまりませんよね~
日本人にとって米は最も身近で切っても切れない関係です。そんな米のことをアレコレまとめてみました。
vol.1は「コシヒカリを学ぶ」です!
稲作の伝来と定着
日本における米づくり・稲作の歴史は非常に古く、弥生時代か縄文時代に九州に伝わったといわれています。
経路については、中国から直接伝わったとする説、朝鮮半島を経由して伝わったとする説、いったん沖縄に入り北上して伝わったとする説などがありますが、九州に伝わってからさほど時間を経ず、日本中に広がっていったようです。
日本の高温多湿な気候は米づくりに適していて、安定して収穫できること・長期間保管できることも大きな点でした。
稲作の広がりに伴い、米を中心とする社会ができ、人々の暮らしを変え、さらに…米は“支配する力を持つもの”にもなっていきました。
日本では長らく、米を税金として納める制度が続きました。
正月には餅、祝い事では赤飯といったように、年間行事には必ずと言っていいほど米を使った食べ物を口にします。
米からは酒・せんべいなどの加工品が生まれ、副産物である藁(わら)は畳・ござ・ぞうり・わらじなど生活用品として暮らしを支え、能・狂言といった伝統芸能は米づくりに由来しています。
品種改良とコシヒカリ誕生
米の品種改良が本格的に始まったのは明治時代に入ってから。
政府が開設した農事試験場が収量性・耐病性・耐冷性などの向上を目指して品種改良を始め、1921年に日本最初の人工交配によって生まれた品種が「陸羽132号」。コシヒカリはこの陸羽132号の孫に当たります。
コシヒカリは1956(昭和31)年に誕生した品種です。ツヤのよい見た目・粘り気のある食感・うま味の強い味…すべてにおいてバランスが取れ、うまいコメの代名詞=コシヒカリといっても過言ではありません。
1979(昭和54)年から北海道と沖縄を除く全国で生産され、誕生から60年以上経った現在でも作付面積・生産量ともダントツにトップ。全国の田んぼの3分の1はコシヒカリが作られている計算になります。
コシヒカリは“敗者復活”?
コシヒカリは新潟県で「農林1号」と「農林22号」をかけ合わせ、福井県で品種となる候補が育成されました。昭和31年に「農林100号」として登録され、新品種「コシヒカリ」と命名されました。
漢字では「越光」。かつて福井(越前)・新潟(越後)が含まれていた「越の国」にちなみ“越の国で光り輝く米に育ってほしい”という願いが込められています。
当時、病気(いもち病)に強く品質が良くおいしい品種をつくることを目指して、品質が良くおいしい「農林1号」×病気に強い「農林22号」の交配が行われました。
その結果「越路早生(こしじわせ)」「コシヒカリ」など5品種が生まれましたが、実はコシヒカリは味は良いものの、病気に弱く倒れやすかったため栽培が難しく、品種改良の目標を達成できなかった、いわば“予選落ちの品種”でした。
ところが「栽培方法を工夫することで(病気などの)欠点は克服できる」という判断で、昭和31年に「農林100号」として登録されました。
その後、栽培しやすいように改良が重ねられ、消費者の良質米志向にも後押しされ、全国で作付けされるようになりました。
まとめ~新米始まります!
ことしも新米の季節がやってきました。いち早く新米を手に入れたいお客様に向け、関東食糧では新米販売日のスケジュール公開をしています!
関東食糧でトップを切って販売する新米は、石崎商店さんの令和4年産・茨城産あきたこまちですが…
「あきたこまち」は1984年、コシヒカリと奥羽292号の交配により誕生した品種。秋田県・茨城県・岩手県など日本各地で生産されています。
「あきたこまち」という名前は、平安時代の歌人・小野小町が秋田県湯沢市生まれといわれていることにちなみ“秋田生まれのおいしい米として末永く愛されるように”との願いを込めて命名されました。
コシヒカリから良食味を引き継ぎ、香り・うま味・甘味・粘りのバランスがよく、炊きたてはもちろん冷めてもおいしいので、弁当・おにぎりなどにもオススメです!
新米も関東食糧にお任せください!
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